部分的ボイコット

 年末年始、実家に戻ってケア労働を他人に肩代わりしてもらったので、すごく気力が充実している。心なしか肌も綺麗になったような…疎かにしがちな食事をきちんと取ったのも大きい。普段からきちんと食べないといけない。

 昨日、とあるアクティビストの方とパレスチナのボイコットの話に関して、「スタバとかの外食チェーンはともかく、コンビニのボイコット※1は現実的に難しいよね…」という話をした。自分も本当にそうで、賃金労働だけでもとても忙しくてコンビニに頼らざるを得ない。事実上コンビニは社会のインフラと化しているので、コンビニに頼らずに生活する、というのは相当難しい。それができる人なんて、それはそれで特権的な階級にいる(コンビニを使わずに済むだけの資源を持っている)人か、世捨て人しかいないんじゃないか。
 一つ思うのは、完璧な不買を目的とするのではなく、部分的なボイコットのためのアイデアが広まってもいいんじゃないか、ということだ。例えばコンビニの例ならば、マイボトルを持ち歩くようにすれば、コンビニで食べ物を買うことは辞められなくても、ペットボトル飲料分の金額は大企業に渡さずに済む。これは、ハーム・リダクション※2の考え方に通じると思う。
 ボイコットが「買う/買わない」の二元論になると、そもそも不買するための資源がない人もいるし、少し精神論めいたものを感じる。自分の使える特権や資源の量と相談して、無理のない範囲で活動することも、持続的に社会運動していく上で非常に大事だと思います。

※1伊藤忠アビエーションがイスラエル最大の軍事会社エルビットシステムズと取引があるということで、ボイコットの対象となっているが、親会社の伊藤忠商事はファミリーマートを子会社に持っている
※2ハームリダクション → 薬物依存等で使われる言葉で、完全に依存症から抜け出させることを目的とするのではなく、限定的に症状を緩和させることを目指す考え方)